リヤドロ 「花車」の思い出






スペインのリヤドロ人形は可憐な顔と柔らかな雰囲気、優しい色合い。

中でも繊細な花たちは特に有名である。

私もバルセロナを訪れたときにこの「花車」を求めた。




リヤドロ2


パッキンを詰めた箱は大きく、現地で買うと安いからと

大荷物になることも厭わず、欲と道連れで持ち帰った。


リヤドロ


見ているだけで物語が生まれてきそう・・・・


リヤドロ3


このお花たちの数が多いほど価値があるそうな・・・・




察するに、お花の部分だけ釉薬の薄いものをかけているのでは?

だからこそ 繊細な形を生み出せるのだろう。




お店で購入したときに免税扱いをしてもらった。

なのに、、、、、そのことを忘れてしまったワタシ!




スペインを出国する前に空港の免税店でバッグを買った。

そのときに店員が免税の手続きをしてくれた。

えっ、そんな、、、、

で、出国手続きのとき税関で係の人と渡り合った。

この人形は免税されていないと頑張ったのだ。

スペイン語のできないわたしは英語とジェスチャーと「ポルファボール」の一言で。




根負けした彼が人形の税金分を払い戻してくれた。

レシートからまた減額!

ロサンゼルスに戻り、すでに買ったお店で免税されていたことを知る!!

ごめんなさいね、スペインの税関の方。




知らないということは強いものだ。

厚かましい中年マダムを発揮した旅行でした。









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カタバミの家紋って・・・





春はお花の記事がどうしても多くなる。

散歩をしていてもどちらさまもお家の花々の美しいこと。

お花屋さんにも花数が増え、しかも安くなってきた。




日本の家紋は植物を象ったものが多い。

何の由緒もない我が実家の家紋は「輪無しの剣カタバミ」。

カタバミは小さくて黄色の花をつけるのが基本形。




これは繁殖が早く、しかも根が深いので駆除に困る雑草である。

で、多くの武士が縁起がよいと家紋に用いたとも言われている。

でも、、、中学生のとき家紋の話が授業で出たら、カタバミって・・・

恥ずかしい気がしたのも事実。




カタバミも園芸品種が増え、オキザリスなるモノにまで昇格。

ウチにも鬼のように大きなオキザリスがある。

そして増えること、増えること!


ピンクのカタバミ


こちらはムラサキカタバミ。

植えた覚えはないのに、ね。


ピンクの2


今年はこんなに大きく、、、去年はなかったのに。


白いカタバミ


白いカタバミは珍しいからといただいたもの。

これは株で増えてゆく。


白カタバミ2


ほんとうに強いつよい花だ。

まめに手を入れて間引いてやらないと大変なことになる。

かわいらしい花なので上手に付き合ってゆきたいものだ。











4月初旬の庭



春の庭はどの瞬間も残しておきたいものだ。

カメラに収めてはアップをする時期を逸してしまう。

今日もちょっと前の庭の一部を……


庭


この飛石を伝わっていくと何があるかって???


獅子咲き椿


獅子咲の椿

いつも丈詰めされて上に伸びられないかわいそうな椿。

これは、家を建てたときに洗濯物が道路から見えないように植えたもの。


すみれ


野草を鉢に植えた。

すみれと名のつく花を何種類も庭に植えたが残ったのは2種だけ。

特に買ってきた珍しいものほど根付きが悪い。


鉢のニラ


どこからかやって来たハナニラ。

いろんなところで花を咲かせる。

去年、鉢に移してみたら、今年は見事に咲いた。


ニラ




これからもっともっと華やかにいろんな花が咲き乱れます~









しゃんしゃんしゃん、いよいよクリスマス

クリスマスツリー sodahead
        image from SodaHead


1975年のクリスマスには、ウチにはサンタさんは来なかった。(ヒューストン)

「どうしてなの?」
「日本から引っ越しましたって、お母さんがサンタさんにお手紙を出さなかったのよ」

娘たちは二階の窓から見える裏の家の大きな煙突を見て、
「いいねー。あんなに大きな煙突だと大きなプレゼントが入るね」
うんうんと妹のほうもうなずいている。

翌年は様子も分かり、どこで何を買えるかも分かったのでプレゼントの用意が出来た。

まず2メーターくらいの高さのプラスチックのクリスマスツリーを買ってくる。
この時期、クリスマス用の生の木もたくさん売られているが、維持管理を考えてパス。

飾りつけは子供たちの希望を中心に、にぎやかな満艦飾となるが、わたしは我慢した。
いつかはわたし流の飾り付けをするのだと。

写真のようにプレゼントを贈るまではツリーの下に飾っておく。

いただいたら、それらも飾り、差し上げた分だけ数は減るわけで、順次プレゼントの
箱たちは交替してゆくことになる。

25日の朝は興奮の坩堝(るつぼ)!!!

早朝、階下で娘たちの叫び声。 
この日までは箱を眺めては待ちぼうけを喰らっていたのだから。

どこの家でも、宗教が違うところ以外はクリスマスの飾りつけをし、祝う。

ウチもクリスチャンではなかったけれど、ムードだけは味わいたかったし、何より
プレゼント置き場として、ツリーは必需品であった。

友人の家ではファミリールームに子供たちが喜ぶ飾り付けをし、外から見える
リビングルームの窓辺には家の主の趣味を生かした見事なツリーを飾っていた。

ゴールドのリボンとボールだけであったり、赤と緑の定番の色で統一したり、、、、
12月に入ると住宅街を車で通るだけでも楽しかった。 見せる演出である。

1990年代後半のLAでは電飾の豪華な家々がリストアップされ地図まであった。

年々派手になり、夜ともなれば大挙して人が押し寄せるので、近隣の住民から苦情が
出る始末。

クリスマスが終わるとセールが楽しみで、今年のものは「売りつくす」の勢い。

セール用の品を出すのではなく、昨日まで定価で売っていたものが安くなるので、
見逃せない アフタークリスマスセール だった。

友人曰く、近年はクリスマス前にセールが始まるとか。

日本でもお正月の「福袋」が、形を変えてきている。

古来よりの文化的行事も様変わりしては、季節感も情緒もなくなってしまいます。




お喋りママはお役立ち

山茶花
         山茶花


幼い子を連れて海外に駐在するのは言葉の問題で苦労する。

上の子が5歳。
日本の幼稚園を経験していたので会話は心配しなかった。

下の子は4歳。
日本語はおろか、社会性も不安だった。

子供が赤ちゃんのときからアメリカ生活をしていた知人曰く、
「家では日本語で話しているのよ」と言っていたが。

実際はこうだった。5歳のお嬢さんに、
「フロントのシートにいらっしゃい。ママ、あとでスパンクするわよ」
と、こんなふうに、長くいると日常的な単語は日本語かと思えてくるのだろう。

ヒューストンには毎週土曜日の午前中のみ授業がある日本語補習校があった。

ある生徒が「野原」の読み仮名に「フィールド」と書いたという笑えない話も。

ウチは補習校は途中で止めさせた。(並べればいくつも理由はありますが)

子供は友達と遊ぶのが何よりと思ったのと、日本に戻れば日本語の中にどっぷりと
浸かって暮らすのだからと自分に言い聞かせて。

そこでお喋りママの本領発揮である。

学校から戻ると興奮してその日のことを報告する。
「あのね、今日スクールでね」
「スクールじゃないでしょ」
「そうそう、学校でね」
と、英単語は日本語に直し、眼を見張って聞いてやる。

この頃次女の口からは「あのね」が、次の言葉を探すため頻繁に出た。 

企業戦士だった夫は留守勝ちだったので、女3人で過ごすことが多い。
時間はたっぷり。

わたしは子供の頃の思い出、観た映画、読んだ本、耳にした話をした。

あれ、これの代名詞はなるべく具体的に表現する。

表現もいろいろと考えて、「雨が降りそう」でも、ある日は「雲行きが怪しい」と
言い換えてみたり、「この調子だと降れば土砂降りね」などと。

もちろん親にあるまじき行為だったが、愚痴もぐちぐちと聞かせてしまった。

台所で料理をしながら日本語の歌を歌った。 これは自分の快楽のため。
唱歌ばかりではない、1960年代のオールディーズも娘たちの耳にはばっちり
残っている。

帰国後の日本語?
笑い話はたくさんだけれど、まったく問題はありませんでした。




ハグ、ハグ、ハグ!

きすぽすたー無題
      ライフ誌を飾った「勝利のキス」


若い人たちはハグというと、すぐピンとくるが、昔の若者には不可解な単語かも
しれない。

かつてニュースで堀江謙一さんが太平洋を横断して日本に戻ってきた時、出迎えた
奥さまと抱き合って再会を喜んでいた。

これが、日本人が人前でハグする最初の光景だった。

感極まると自然に出る行動なのだろうと、みんな同様な気持ちを抱いたものだ。


ヒューストンでは、挨拶には必ずハグして、両頬にキスをする。

本当にくっつけてチュッとするのではなく、真似事のようなものだったが、それは
時と場合と相手にもよった。

エクアドルから遊びに来ていた高校生の女の子が、
「いやぁな小父さまとのご挨拶には、なるべく離れてするのよ」

ラテン系の人たちはハグしてチュ、チュッが当たり前。

LAではよほど、特別でない限り握手ですませる。

嬉しかった、楽しかった、まあ可哀相に、ありがとうなど、感情が高ぶったときは
自然に身体が前に出てハグしてしまう。

ウチの家族はこれを人前でもする、長の別れ、久々の再会などでも。

長女が中2(日本)で転校するとき、最後に教室に皆が並んで言葉を交わした。

一人ずつ進み、最後の男の子まで来ると、彼女が彼の頬にチュッとした。

彼は真っ赤になったという。

ごく自然で、笑う者もいなく、おそらくは当然のごとく受け入れられたのではないか。

わたしも同様、感情によって身体が前に出るが、婿たちには自制心を働かせて
抑えている。 だっていやがられても困りますもの。




つつじ咲く路を辿りて azalea trail

つつじ ヒューストン
       headquarter of Azalea Trail Houston


ヒューストンにはアメリカ7大つつじの名所に入っている場所がある。

2010年で75回目の、日本でいう「つつじ狩り」とでも表現すればいいのか、
が、今年も例年通りあったようだ。(例年3月)

もう30年近く前に訪れたのだが、ヒューストンきっての高級住宅地である
リバーオークスの写真の家が歴史的な建物で、庭も公開されている本部。

このほかに近くの個人の家や庭も公開され、他人でありながら、よそさまの家の
中を見てまわれる日でもある。

3日間の催しのある時間帯は、住んでいる人たちは外出しているそうだ。

つつじもさることながら、お金持ちの家を見てまわるのが楽しみで、参考には
ならなくても、夢は描ける。

日本でもこのごろはバラの咲く季節には庭をオープンにして、開放しているお宅も
あると雑誌で読んだ。

アメリカでは自分の家だけ手入れが行き届いて素晴らしくても、ご近所が荒れて
いては住宅地の価値が下がるようだ。

通りごとに前庭の美しさを競うコンテストがあることも。

友人が言っていた。
まあまあの住宅地で一番いい家に住むよりは、高級住宅地の中の小さな家に住む
ほうがよいのだと。

日本では衣食住と価値観の優先順位が並ぶが、アメリカは住食衣のように思える。

ヒューストンのメモリアル地区もなかなかの高級住宅地であったが、学校に来る
ママたちはTシャツにジーンズ、ズックを履いていた。 
家には住み込みのメイドがいる人でも。

背中が破れたシャツを着て芝刈りをしていたご主人は大きな会社のお偉いさん。

みなさん、時と場所を弁えているのでしょう。 もう昔の話ですが。




チアリーダー、可愛いだけではありません

スプリングブランチ学校区 運動場
         Darrell Tully Stadium in Houston


英語の cheer には応援をする、声援をすると言う意味がある。

わたしは、これに加えて「元気にさせる」というのも入れたい。

住んでいたところの道路を横切ると目の前はストラッドフォード高校だった。

この高校の北側に隣接していたのが写真のスタジアム。

フットボールのシーズンになるととたんに賑やかになる。

ゲームもさることながらチアリーダーたちが見物(みもの)だった。

笑顔はニコッどころか、ニカッといった感じ。

フットボールの選手が学校の花形なら、女生徒の花形はチアガール。

容姿端麗、学力優秀、品行方正、運動神経抜群、生徒にも先生の間でも
人気者でなければならない。


この条件にかなってチアガールになった女生徒は憧れの的で、母親も家族も
自慢の種にできる。 

父親は、娘が方々の試合に出かけるため、財力も問われる。

選ばれてからが大変で、ニカッの練習には指導の先生が「まだまだ」と叱咤激励。

アクロバティックな競技のほうは、たいていの女の子はチアガールを目指すと、
小さい頃からジムナスティックの教室に通っているので習得は早い。

友人のお嬢さんがチアリーダーだった。 人懐こい素直なお嬢さんで、ママの方は
高校時代 homecoming queen だったそうだ。

このお嬢さんは医師のご主人と4人の子供に恵まれてコロラドに住んでいる。

高校生のフットボールを観戦するときは、チアガールたちの優秀さを汲み取りながら
見ると興味もわくのでは?




一考あり、銃社会の功罪

townhouse bateswood 竹ジンさん
        「竹ジンのつれづれ日記」さまのブログより画像拝借

竹ジンさんがお住まいだった写真のタウンハウスとよく似たところに住んでいた
ので、写真を無断で拝借しました。 場所も近そうです。

中庭の感じが違うが、雰囲気はまさにこれ、とっても懐かしい。

ブログを書くときに困るのは、写真がないこと。

子供や人物抜きの写真などなく、掲載がはばかられるからです。



では本題に、

日本で銃といってもピンと来ないし、否定論が真っ先に出てきそう。

ところがアメリカで暮らしていた35年前のころ、夫が出張で留守のときは、
本気でピストルを持っていたいと思ったものだ。

ホラー映画を見たり犯罪のニュースが溢れる中、防衛本能が自然と働いてくる。

アメリカは州によって法律が異なり、テキサスは、銃の所持はOKだった。

写真のようなタウンハウスの中庭を歩いていて、素敵な窓辺のデコレーションを
見つけ、近寄ってみようとしたら、バーバラが制止した。

「覗き込んで撃たれても文句は言えないわよ」と。

やるか、やられるかの西部劇のような世界ですわね。

この場合、立場を替えて、わたしが見知らぬ人に家の中をじっと覗きこまれたら、
気味が悪いに違いない。 

それをしてはいけないと躾を受けて育った人たちなら尚更である。


夫が夜遅くガソリンスタンドに行くと、若い女性が一人でいた。

怖くはないのかという夫の問いに、女性はガンを見せたという。


安心のために銃を持つのか、銃がそこにあったから軽い気持で発砲するのか。

アメリカでも長い間かかって議論しているが、賛否両論ありで今日に至っている。


 補足
  アメリカのディープサウスと呼ばれる19州には「キャッスル・ドクトリン」
  という州法を制定している。

  自宅、車や職場は自分の城であり、守る権利がある。 よって不法侵入者には
  銃を発砲してもよい、という法である。

心臓移植手術を見ました

houston medical center
     Houston Medical Center


テキサス医療センターはヒューストンにある。

世界最大級の研究と医療の集中機関で写真の如く、まるでひとつの都市のよう。

ライフ フライトと呼ばれる救急ヘリコプターのシステムをいち早く設置したのも
ここである。

心臓移植の手術数も世界一で、患者も世界中からやってくる。

日米親善交流の一環として、ダラスとヒューストンで日本文化紹介の催しがあった。

時は1990年代の後半、以前ヒューストン在住の者として、主催者側の代表夫人
のお世話に出向いた。

殿方が仕事に奔走している間、わたしたち婦人は自由時間があり、夫人の要望で
心臓手術を見に行くことに。

そんな急に、まるで他人のわたしたちが手術を見られるのか……と心配したが、
それは杞憂だった。

手術室の真上は円形のガラス張り(もしかすると強化プラスチック?)で、大勢の
人たちが二階から手術の光景を見ている。

恐らくは家族、医者、医学生たちだったのではないか、熱心に見ていた。

ガラス張りの周りに手すりがあって、その外側で、つまり二階部分では歩き回ろうと
会話をしようと、まったく問題ない。

手術を受けている本人の血液を、管を通して戻しているのが印象的だった。

ヒューストンには日本からもたくさんの医師が留学していた。

医学は日進月歩しているのであろうが、まさに刻々と進歩しているのだと実感。


余談
 1970年代後半のアメリカで聞いたのは、ある病院ではお金を取らない代わり
 に手術が失敗しても文句は言わない
、という条件で手術を受けられる、と。

 若い医師たちは豊富に手術例をこなして腕を磨けるし、貧しい人も医学の恩恵
 に浴せる。


 
プロフィール

白秋マダム

Author:白秋マダム
 
海外生活17年間の思い出と、
時事雑感、日々の暮しについて
エッセイを書いています。

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