野外音楽堂 ハリウッドボウル 


LAの北、ユニバーサルスタジオを目指して向う途中の左に、ハリウッドボウル

と称する野外音楽堂がある。 世界最大級の大きさで収容人数27,400。

降雨量が極端に少ない所ならではの催しで、夏の間音楽ファンを楽しませてくれる。

丘陵地を利用し、ステージを最下位に持ってきて扇状に観客席が広がる。



ハリウッドボウル2



私たちが訪れていたころは、写真のように舞台に大小の大きなボールが上から

下がっていたので、それが名前の由来だと思っていた。

実は Hollywood Bowl とスペリングし、料理などに使うボウルのほうだった。



ハリボウル




まだ明るいうちから出かけ、木陰でピクニック気分でお弁当を広げることも。

レストランもあれば売店もあるし、デリバリーで席まで持ってきてもくれる。

お弁当持参のときには大きな、お気に入りのバスケットに入れてゆく。

招待されるとホスト側でお食事の用意をしてくれるので、ピクニック気分は

都合2回しか味わえなかったが、楽しい思い出である。




いくつになっても お弁当ってわくわくする もの。

のりを巻いたおにぎりは周囲のアメリカ人の視線を浴びながら食べるはめに。

LAはまだ情報が行き渡っていい方だが、ヒューストンとなると昔だったせいか

「その真っ黒い紙は何なのか」なーんて聞かれたものだ。





ハリボウル夜


夜は花火も打ち上げられ、最後は必ずヨハン・シュトラウスの「ラデツキー行進曲」

が演奏され、手拍子と共に花火が音楽に合わせて豪快に上がる。


ハリボウル現在


上の写真は夕暮れ時のステージ。

現在はボールが取り払われて存在しない。




升席に招待され、自分たちで行く時はベンチシートで年に3、4回は訪れた。

升席は年間予約を取った人から更新されるので、まず取れない。

升席に座るには招待されるしかないのである。




ある日は4人で枡の椅子に座り、ホスト側で準備してくれた某有名レストランの

テイクアウトの食事。

ワインを傾けながらお隣の枡の方々とご挨拶。

長年隣同士だと家族構成もわかり、近況を報告しあったり……。




LAでわたしの好きなオーケストラ、LAフィルとLAチェンバーに並び、LAにおける

三大交響楽団の一つに入れたいハリウッドボウルである。

♪夏が来れば思い出す……♪




それにしても夏以外はこの楽団は何をしているのかしら、、、、、、。







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アメリカ、セキュリティチェック事情


ロサンゼルスからラスベガスへ飛ぶために空港へ。

バスがチェックインカウンターの前まで着けてくれた。

中に入っても団体ということでスイスイとチェックイン。

ところがセキュリティーチェックへ向かう途中に見た光景!

長蛇の列で、建物の外にまでズラリと並んでいる。




一歩ずつ、あるいは全く動かない状態が続く。

こういったときはマーフィーの法則どおり、隣の列が速く見え、移動すると

今度はこっちが遅く思える。

動かないに限る、で辛抱強く待つ、待つ、待った。




空港LA
                          imaged by website




靴を脱がなければならない。

床にはなにやら散乱していて気持ちが悪いが裸足に。

ぽけっとの物は取り出してトレイへ。

わたしはTシャツの上に、くるぶし丈のジャンバースカートを着ていた。

検査官の男性がこっちへと合図をする。

ガラスで囲ったブースに入り、女性検査官が来るのを待った。




手袋をはめた彼女は両手を挙げさせてボディタッチ。

両足を広げた状態のわたしを丁寧に、すばやく一本ずつ撫で下ろしていった。

わたしのワンピースはギャザーでふくらんでいるし、中に何かを隠し持つことは

容易にできる。

ピストル? ナイフ? あるいは爆弾も、、、、、、、




ねェ、顔パスってわけにはゆかないの?

悪いことしそうじゃないでしょ?

そうか、外国人の善悪は顔から判断は難しいのね。

いい人そうな顔をして悪い人はいても、悪そうな顔をしていい人は

いないそうよ、、、、、、




ああ、何ていったって長い列!

2010年10月からこのセキュリティチェックが厳しさを増したらしい。

国内線が特に念入りだとか。




元はといえばテロリストのせい!!

世の中に悪い人さえいなければ、人々は安穏に暮らせるのに。

子どもの頃は家の玄関に鍵は掛けていなかった。

まず玄関の戸を開けてから、「ごめん下さい」と声を掛けたものだ。




とんでもない人がいる限り、やはりチェックは厳重に。

それで文句も言わず、辛抱強く、順番を待った。

ボディチェックが(pat-downという)行き過ぎで不愉快だという声

が上がっているという。

わたしは当然だと思ったけれど……。

どうせならトコトンしてもらうほうがよい。

長いこと待ったあげくチェックに漏れがあって、飛行機が爆破されるより

いいでしょう。

だからこそ大勢の人たちは諦めて列の中で時をやり過ごしているのです。






お気に入りのスターの手形はありまして?



ハリウッド と聞くと映画好きにはドキドキする響き。

LAでも特殊な場所で、映画人もいればゲイも多く住んでいる。

かつてカフェでお茶をしていたときに、目に入っていた女性。

黒のカチッとしたジャケットを着てボタンは留めていたが、下着を

全くつけていなかった。

深く切れている襟元からは豊満な胸が自信ありげに見える。

このボイーンちゃんはなんと男性だった。





この辺りの洒落たレストランのウエーターやウエイトレスは映画界入りを

目指している若者が多い。

チャンスがあればラッキーで、映画監督や演出家に出会える場所でもある。

ウエイトレスだけではなく、もっと過激な職業についてチャンスを狙って

いる女性もたくさんいるようだ。





ツアーのガイドも定番どおりチャイニーズシアターへ連れて行ってくれた。

お馴染みの映画スターの手形と靴形がコンクリートに刻まれているところ。


giant.jpg


中でもわたしが好きな3枚並びのものがこれ↑。

左から ロック・ハドソン、エリザベス・テイラー、監督のジョージ・スティーブンス。

3人は1956年に製作された映画「ジャイアンツ」つながり。





モンロー手形


マリリン・モンロー!

世代を超えて、時代を超えて、彼女は人気がある。

スター性があり可愛くて、邪魔にならない感じの女優だった。


手形を取っているところ


サインをしているもう一人の女優がジェーン・ラッセル。

凄みのある目力を持った女優だった。

二人は「紳士は金髪がお好き」で共演。

すでに人気女優だったジェーン・ラッセルをこの映画でモンローがくった

と言われている。


驚くのは女優たちの足の小ささ。

高さ10センチくらいのハイヒールの靴を履いているのでこうなるのだ。

昔の女優は背もそんなに高くはなかった。

アン・マーグレット(ご存知?)は153cmだったし、ナタリーウッドや

エリザベス・テイラーは157cmだった。


ここにはソフィア・ローレンの手形はあるのにオードリー・ヘップバーンはない。

どういった基準で人選をしているのだろうか。

しかも限られたスペースなので、ゆくゆくは場所がなくなってしまう。


ちょっとだけ会話を交わした グレゴリー・ペック、ジュリー・アンドリュース

の手形もある。


今が旬の方の手形もご紹介。

ジョニーデップ


ジョニー・デップです。




古いものは風化してゆくのか、彫が浅くなっているような気がした。



かつて住んでいた場所は、、、、、

空からロサンゼルスに降りてくるときは、いつも街の上空には

茶色のスモッグが厚い層を作っていたものだ。

今回は5年ぶり!

ラジオでLAの空が青いと聴いていた。

よそさまのブログに載っている写真を拝見しても確かに空は青かった。

この目で見て驚いた。





空港からサンタモニカへ向う途中、ブーゲンビリアが咲き乱れ、緑の葉も

美しく、一瞬違う町にやってきたかと思った。

気温が最低と最高で17℃ー21℃!!!

からりとしているのは同じでも、とてもLAだとは思えない。

この頃は全体に気温が低く、雨も以前より多く降るようだ。

空中の埃が雨で落ち、草木が生き返ってきたのだろう。

道路沿いの土手の枯れた景色が、いまではとても美しい。





バスでセンチュリーシティを通った。

フォックスビル


高いビルが 20世紀フォックス の本社ビル。

手前に広がっている住宅群が、前住んでいたマンション。

と、日本では表現してしまうが、アメリカでマンションというと10室以上は

部屋のある豪邸のこと。 ここはただの日本でいうところのマンションです。

日本式のマンションはアメリカでは コンドミニアム という。



間にある通り Avenue of The Stars をバスが走ると私の目はウルウルし、

懐かしい景色がぼやけてしまう。  




センチュリープラザタワー
 

この三角形のビルの39階に夫のオフィスがあった。

毎日サンタモニカに沈む夕日が素晴らしかった。

大きな、大きなオレンジ色の燃える塊だった。




ああ、このビル、、、、、

これ、知らないビル、、、、、

かつて知っていた街はいつの間にか見知らぬ町になりつつあった。

「あなた、今度またゆっくりと来たい?」

夫はもういいと言った。




車窓から見える景色に思い出を重ね、月日の流れの速さを噛み締めた。





ツアーで行った ノスタルジック ジャーニー

ロサンゼルスに用事があり、やっと実現できて行ってきた。

というのもこの3年間、夫の調子が悪く、延び延びになっていたのだ。

車の運転もできないので、今回はツアーに入り、ついでにグランドキャニオン

周辺とラスベガスへの旅となった。

5年ぶりのノスタルジック ジャーニィである。




サンタモニカ 紫の花


この綺麗な紫の花、名前は 「オーストラリアン ティーツリー」 。

直径は測ったわけではないが3センチくらいだったか、、、、、、

サンタ モニカ のビーチ脇に咲いていた。

ここLA周辺は砂漠だったところで、植物はすべてどこからか持ってきて

植えたもの。

こんなデザイン照明器具がありましたわねェ。





流木


流木?

ではなくて、恐らく何かの理由で倒れた木をそのまま放っておいたら

葉が枯れ、木も朽ち果ててこのような姿になったと想われる。





リス


人がやった餌なのか、落としたものなのか、リスが食べていた。

近寄ってカメラを向けても平気。

サンタモニカは大勢の観光客で賑わうが、平気、平気。





ジャカランダ


あと2週間でお花の時期が終わるという ジャカランダ がまだまだ

美しく咲いていた。

日本名は「紫雲木」または「キリモドキ」。

元はブラジルの木で、スペイン→メキシコ→アメリカへとやってきたもの。

住んでいたころは、こういったトンネルを潜ってドライブし、お食事やお茶をした。





10数年前から写真は撮らないことにしていたが、今回はブログにアップして残せるので

印象的で感動したときにカメラを向けてみた。

体験するだけで充分、目に焼き付けておこう、、、、、なんて思っていたが、やはり

こうして撮れば撮ったで編集が楽しい。




     ーしばらくは旅行記となりますが、お付き合いくださいー



ペースメーカーを女子にも

小鳥千両と


ペースメーカーっていっても心臓の治療に用いる装置ではありません。

マラソンで先頭に立って、好記録を出すようなペースを作る人のこと。


男子には以前から導入されていても、女子には人材がいなくてできなかった。

これからは国内主要大会で、女子にも導入できるようになったそう。



LAにいたときのある日、ディナーに招ばれて出かけた。

瀟洒なお宅で、ケータリングが入って2テーブルに分かれての晩餐会だった。

食事まではいつものようにワインなどを傾けながらの歓談。

ここまではワタシでも、まあまあ大丈夫だった。


ところが食事が始まってからはいつもの如くの苦痛の時間。

8人でテーブルを囲めば、和気あいあいと、楽しくも深い話が始まる。

当たり障りのない歓談とは違うのだ。

わたしの動く辞書的存在である夫とはテーブルは別。

もう一組招かれている日本人の、奥方のほうが同じテーブルだった。

彼女は高校時代にアメリカに留学していただけあって、英語は流暢。

お隣の紳士は大学教授、反対には大会社のCEO。

前にはこの家のホスト。

言葉がうまく喋れないのは歯痒いもので、ましてや年齢に相応しい内容を話せないのは
惨めなことこの上なし。


    ねぇ、わたしのこと、放っておいて。

    無視して構わないのよ。

    目を合わせないで、見詰めないで。


なのに、あちらの方は平等意識が高く、少しでも会話に入っていない人がいると、
罪悪感を抱くようだ。




微笑をたたえつつ、拙い英語で頑張るワ・タ・シ。

「ラビットがね……」と会話が弾んでいた。

マラソンに、どうしたことか うさぎ が紛れ込んだらしい。

やがて、そうではなくてどうもラビットとは人の名前かも、、、、

そうか、Mr.Rabbit が走ったのか。

なーんて思っていたのは大間違い。

ラビットとはペースメーカーのことだった。

アメリカに住んでいながらニュースに疎く、ペースメーカーのことも知らずにいたせいで
こんな無様なことに、、、、



見知らぬ人たちが偶然テーブルを共にするディナーパーティはOK。

知人だけでテーブルを囲んで座るのもOK。

でも、頭の中身まで推し量られるようなディナーパーティは×××!!

駐在中は肩の凝りに悩まされ続けたものでした。



    参照:
    
     関連記事は、カテゴリ欄からロサンゼルスをクリックして
   
     「LA Times の社長室でディナー」をご覧になってください。
 
        







当たり前が崩れ始め、不便な世の中に!

タグ防犯用


LAのブティックで店員が、パーティシーズンが終わると返品が結構ある、と言った。

返品って、それって当たり前じゃない? と思っていると、なんと一度パーティに着て
いったものを返しに来るのだそうな。

素敵な洋服ほどみんなの印象に残るわけで、何度も着られない。

値段が付いているタグをそっと、うまく隠して着、パーティが終わると返品に。

ベテラン店員の勘で、判るのだそうだ。

そこで衣料量販店などの人手の少ないところは対策を考え、写真のようなプラスティック
のタグを付けることに。

万引きをしようものなら店を出るところのセンサーにひっかかりばれてしまう。

万一通過できても、このタグは外れない。

無理矢理外そうとするとインクが飛び散って衣類を汚す仕組みになっている。

わたしもデパートで買った服にこのタグが付いたまま持って帰ってしまった。

センサーをすり抜けられたのも不思議だったが、タグが取れずに着ていく予定の日に
間に合わず大迷惑!

このタグはいろんなタイプがあって、他所の店で外すのは不可能なのだ。

LA滞在中は私の人生で最も多忙を極めた日々で、おいそれとデパートに掛け合いには
行けず、何日か不愉快な気持を抱え込んだまま。

万引き防止のために善良なる市民がいやな思いをしているわけである。

ある店では試着室の前に店員がいて、2点までとチェックをする。(タグはない)

高級ブティックではもちろん店員が洋服を持って後ろから付いてきて、ドアの近辺に
かしずいてくれている。 (もちろんタグはない)

そんなことはあり得ない、あるはずがないという性善説から社会生活は営まれ、困った
事態が起きてから対策が練られ、決まり(法律も)が生まれる。

思えば土浦の中学生刺傷事件、そのうち包丁も気軽に買えなくなるのでは?

鉄道の線路内に子供が入り込んだ、では日本中の線路脇に柵を張り巡らせろとでも?

じゃあ、琵琶湖の周囲にも柵が要るようになるのでしょうか。


  補足:土浦の中学3年生の男子は高校受験を控えていたのでは?

     この時期の事件である。 関係者の善処を陰ながら祈らずにはいられない。





愛車は、アメリカではインフィニティ

インフィニティ
       インフィニティ G20 (初代モデル)


LAは完全な車社会である。 

ヒューストンもそうだったが、マイカーがなければ生活は成り立たない。

インフィニティ G20 という車種が3代で無くなったと聞いて一言。

LAに着いてすぐ必需品である車を買いに。
日産で中型車という範疇で選べば、悩む余地もなく、あとは色と装備。

インフィニティって、日本では高級車じゃなかった?
どうしてこの価格で、このわたしの手に入るの?

手放すときに高く売れるという甘言にのせられ、要りもしないサンルーフをつけた。
   (これ以上そばかすは要らない!)

仮ナンバーにはビバリーヒルズと書かれ、下にディラーの名前があった。
これだけでもLAに来たのだとの実感がわいてくる。
   (ずっと仮ナンバーでよかったのに、、、)

日産の社員の知人が G20 を買ったと聞いて、「通ですよ、あれを選ぶのは」と。
何のことだか、さっぱり解らなかったわたし。

大阪では「かっ飛ばし」といわれているとか。
  
日本から旅行に来た大学生が車を見て、プリメーラだといった。
   (えっ、何のこと? わたしは インフィニティ だと言っているのに)

このあたり、車音痴のわたしは勉強不足で、日本と外地で販売している車には
見かけは同じでも内容が異なる場合があったり、名前が違っていたりすると知る。

なにはともあれ、気に入っていた。
快適な車で、何の問題もなくご機嫌さんだった。

帰国時には走行距離が7年近くで3万マイルしかなかった。
   (わたしはフリーウエイは苦手だったし、遠出は夫の車だった)

ディーラーは、あまりの走行距離の少なさに、信じられないという素振りを見せた。
   (だ・か・ら、わたしは箱入りマダムですのよ)

サンルーフのおかげか、とっても高値で引き取ってもらえた。
   
ジャカルタのカローラの最悪の経験を思えば、こちらは最良のケース!

インフィニティの、ちょっとバットマンのマークに似た、クリーム色のわたしの車も、
もうとっくに廃車になっているのでしょうね。



或る還暦祝いパーティ

クリスマスソックス


友人がご主人の還暦祝いのパーティを企画した。

秘書に相談するうちに話は盛り上がり、広がり、大きくなっていった。

サプライズパーティということで、楽しい反面それなりの苦心はあったようだ。

出張もあれば日本からの来客もある、会議もあればパーティもある。

なにしろ駐在員たちのスケジュールは時間刻みなのだから。

当日、秘書と打ち合わせて帰宅時刻を調整。

50人を超すゲストにケータリングサービスの人たちはキッチンが狭すぎて2台分の
車庫まで使用しての準備だった。

小物は食器、グラス類、カトラリー、ナプキンからテーブルクロスまで揃う。

ビュッフェのための食卓、センターピースの花など、頼めば何でも用意してくれる。

やがて、ご主人のご帰還。

自宅周りに車がたくさん停まっていたので何事かともう一周して家に。

車を車庫へ入れようと思う前に、男の人が出てきて車庫は今日は使えないのだと
告げた。

何が起きたのか、故障か、などと思いながら、ピンポーン。

ドアが開くなり おめでとう のラッシュ。

普段どおりの誕生日を予期していた彼の驚きは大変なものだったらしい。

わたしは夫が出張中だったので、オレンジカウンティまでの運転ができず失礼した。

後日、請求書を見た彼女は追加が多すぎたとためいきを。

思い出作りは豪華なほど非日常的で印象深くなる。

わたしも夫の還暦祝いは頑張ろうと心に決めたのでした。




圧巻! LA群立美術館 (LACMA)


       image from www.imageg.com LA群立美術館


LA市立ではなく群立の美術館で、ここは他館からの展示も見物(みもの)だった。

1993年、ある方の招待で「バーンズ コレクション」に。

彼のコレクションは2000点以上にのぼり、印象派の作品を中心に集めたもので、
死後、バーンズ財団が所有し管理している。

バーンズ氏の遺言により、貸し出しはおろか画集、複製の作成まで禁止とされていた
門外不出の一級品である。

諸事情により初めて公開され、LAにやって来た話題の展覧会だった。 
  (その後日本でも公開されたと聞いている)

その日はディナーパーティで、一般公開される前に、大口の寄付団体の代表者や
個人が招待されていた。

有名な印象画家たちの絵が展示されている会場。
その中にテーブルを4、5卓セットし、各テーブルに10人。
ケータリング サービスで完璧フレンチ料理だった。

絵画に囲まれて食事ができるなど、夢にも思わなかった。

右に バンク オブ アメリカ の CEO、左に タイムズ ミラーの社長が。
でもこの時のわたしは緊張することもなかった。
名乗られて握手をしても、彼らがどういう人たちなのか知らなかったから。
   (後で夫に堂々としていたね、とからかわれた)

タイムズ ミラー の社長が、「LAは如何ですか。もう慣れましたか」と聞く。
「先日ロデオドライブに行き、『プリティ ウーマン』の主人公のように
歩いてきました」

ビデオを買ってきて記憶を重ねてみたが、どうしても ジュリア・ロバーツ の英語が
解らないというと、「あれは特殊なんですよ。 street language と言ってね」

自分たちも解らないことがあるとも。

わたしにとって、もっと解らないのは戦争映画。 彼らの英語は汚い。

テレビで再放送をしていた「I love Lucy」などは英語がクリアでゆっくりだし、
よく解る。

LACMAには、その後も「シャガール展」、「ダリ展」、「フランク ロイド ライト展」
など、など何度も足を運んだが、この日のような豪華なパーティは一度きり。

普段わたしたちが招ばれるのはブッフェだった。

一般公開される前夜、招待客だけでゆっくり鑑賞できる、よい制度だと思う。

 
    余談
     前にも書いたように、寄付に対する税金の免除制度が確立されているので、
     個人も自分の趣味に合わせて寄付活動をする。
     寄付先が判っていると納得がいきません?




プロフィール

白秋マダム

Author:白秋マダム
 
海外生活17年間の思い出と、
時事雑感、日々の暮しについて
エッセイを書いています。

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