西洋絵画の意味するところを・・・




日経新聞の朝刊に連載されている「注文の多い宗教画」10選。

1と2を切り抜くのを忘れたが、3からはスクラップしている。

いきなりですが・・・・・・4月25日付の記事のご紹介。


絵画 首を切る


怖いもの見たさの絵に属するだろうか。

画家はアルミテジア・ジェンティレスキ、女性である。

画題は「ホロフェルネスの首を切るユーディト」。




旧約聖書からの話で、これでも宗教画なのだ。

  
   イスラエルの富貴な未亡人ユーディトは、祖国存亡の危機に直面し、

   侍女一人だけ伴っただけで敵将ホロフェルネスの陣地を訪れ、

   寝返ったと信じ込ませる。

   深夜、酒と色香に酔いつぶれた将軍を殺し、首を味方のところへ

   持ち返る。

   ユーディトは救国の美女として讃えられた。

                  本文の執筆は中野京子:新聞より掲載




美術館で絵の意図するところ、意味するところが解らず、無為に過ごしたことも。

西洋絵画は謎、喩え、教訓、歴史、風刺と読み解きが難しい。

そんなわたしの助けとなるのが 中野京子氏 の本。

彼女を知ったのは「怖い絵」で、書店で求めて帰った。




ドイツ文学者であり、西洋文化史家でもある。

わたしも西洋史を学び、美術評論家になりたかった・・・・・・

アメリカでのあるパーティでお隣の席に日本人の美術評論家が。

このときとばかり夢中になって質問をたくさんしてしまった。




世界的に有名な美術館に行くととても2,3時間で見るのは不可能だ。

丁寧に見ていくと何日かかるか分からない。

何度も通えない場合、、、、解決策がある。

たいてい日本語の説明冊子があり、それに鑑賞100選なるものがある。




好きな絵をいつもいつも眺め、鑑賞していて本物に会いに行く。

これ、最高の贅沢!

出会いの喜びと感動で興奮し、充実感で満たされる。




反対に初めてであった絵なのに涙が止まらなかったことも。

十勝平野にある「神田日勝記念美術館」の絶筆となった「馬」。

安い茶色の絵の具しか買えなかったことも知った・・・・・・

こうして書きながらも思い出すとうるうるしてくる。




音楽と絵と本は人間だからこそ楽しめるものである。








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美しい挿絵


2冊目の本を出版するため、表紙にする絵を探す。

浮世絵、日本画、好きな挿絵画家の絵を・・・

ネットで探しているとこんな本を見つけた。注文!


三日月 表紙


作家は橋本治氏、ところが女性が書いたかと思われるような文。

情緒豊かな表現、流麗な文体、古語の氾濫・・・

物語は平安貴族の恋。


少女


源氏物語の一話を抜き取ったような・・・

源氏物語に組み込まれても良いような・・・


二人の男


権勢を揺るぎなきものにするために男たちは画策をする。


契り


・・・・・


誘拐


誘拐、略奪


物思い


もの思い


独り


苦しい恋


几帳





絵の美しいこと!

見開きどのページにも挿絵が載っている贅沢さ。




貴族の姫が他人に顔を見せないことの意味がやや理解できた。

それは決まりではなく、恥じらい。

見せるべきものではないと躾けられていたのだ。




ジャカルタにいたときの決まりのようなもの。

ニョニャ(女主人)は門の中に入ってから車を降りる、近所の人たちに

顔を見られることはしない。

わたしが家の前の通りでバトミントンをしたりしたのは、お出の良くない

女だと思われても仕方がなかったようだ。




文化、仕来たり、風習に慣習・・・これらのほかに時代の背景も知らなければ

1冊の本も読みこなすに難しいものがある。




肝心のわたしの本の表紙の絵については所蔵する美術館と交渉中である。









女性らしさを教えてくれた中原淳一




まだ幼かったころ、年齢に開きのあった従姉は素敵なものを持っていた。

雑誌であったり、カード、ブロマイド、綺麗な模様の付いた万年筆。

触らせてもらうときは手を洗い、そっと持たせてもらったものだ。


中原淳一


この絵にそっくりの女性が近所にいた。

わたしは彼女が通るとじっと見詰め、後を付いていきたいほど憧れた。

美しいもの大好きの、多感な乙女だった。





わたし自身の記憶にはっきりとしたものがあるわけではないが、中原淳一の絵を

見るとなぜか懐かしい。

また自分が6年生になったころには彼の挿絵や本も買った。


あなたが、、、、


これは現在でいうところのマナー本。

心の、立ち居振る舞いの美しい女性になるための手引書であり、身だしなみと

女性としての生き方にまで及んで書かれている。

また戦後洋装が定着するときの、案内書でもあった。


復刻版


こんなものを書店で見つけ、従姉にすぐ電話をしたら、笑っていた。

わたしだったら「女学生の友」の復刻版が出るとうれしい!!




1913~83年まで刊行した少女雑誌「ひまわり」の展示会が開かれている。

    東京は文京区の弥生美術館で 12月25日 まで





      貴女が一番美しく見えるときは、貴女が一番立派な服を着たときではなく、

      貴女が一番美しい心を持ったときではないでしょうか

                              ― 中原 淳一 ―







ホキ美術館にて -2-



パンフレット


美術館のオーナーは保木氏。

ご自分で蒐集された絵画を展示するために建てたという建築物。

その変わった外観に驚き、内部を見てみたいと思わせる効果がある。


写実絵


まるで写真である。

ある意味、丁寧に選び抜かれて設定されているモノたちは、作者の意図や

美意識がうかがわれて興味深い。



セッティングが完了した時点で、その絵は決定である。

印象派の絵と異なり、いついつ完成すると断言できる絵でもある。



パンの絵


わたしのお気に入りの絵。

質感、静謐な雰囲気、、、、、。




しかし写真機という文明の利器が登場した今日、何のために、、、、。

   宗教、神話、聖書に歴史絵巻として具現化した表現はわかる。

   また人類未踏の地で見つけた動物や果物、風景などを知らしめるために

   描いた時代もあったであろう。

   肖像画として活躍した時代もあった。




どれを見ても驚嘆し、ご苦労が偲ばれる。

わたしが習ったアメリカ人の先生も写実画だった。

先生は個人的に依頼されて、その人の人生の歩みを思い出の品々を描きこむ

ことで一枚の絵にまとめて表現する仕事をされている。




最後に、館内で最も衝撃を受けた一枚の絵があった。

写真撮影が禁止されていたので紹介は出来ないが、、、、、。

画家の父親の臨終、末期の絵だ。

きっと写真以上に何かを語っているかと思われた。




畳3枚よりも大きい絵。

発表するに当っては賛否両論あり、物議をかもしたのではないか。

凡人のわたしは鑑賞しきれなかった。





       参考:小粋なレストラン「はなう」が館内にある

              食器はすべて リチャード・ジノリ を使っている






ホキ美術館にて  -1-




千葉市のあすみが丘にある「ホキ美術館」。

最寄の駅はJR外房線「土気」(とけ)駅で下車、徒歩20分。




昨秋オープンした美術館で、日本初の写実絵画専門館。


看板


ホキ建物


雑誌の切り抜き


案内






わたしの印象に残った好きな絵は、

ホキ女性


生島 浩の描いた若い女性。

この女性に魅せられて佇むことしばし。

画家が頼み込んでやっとモデルを承知、しかもこれ一枚きりで断られたそうだ。

そういったエピソードがまたこの女性のお育ちの良さをうかがわせる。


ホキ女性のアップ




親戚に俗にいう「手タレ」、手指だけ写るタレントがいる。

若いときだけのアルバイトで、バブル期は大会社の重役級の収入があった。

脚もきれいなのでモデルになって脚を写させた。

このときの父親の台詞、「そこまでだよ」と。




わたしの父も人前でさらし者になるな、と言っていた。

高校生のとき、お祭りで山車の上に乗る役も断ってしまった。





美術館で何よりこの若い女性と説明書きが印象に残ったので……。

本題は次回に譲ります。







ペン画でインテリアを表現してみました



油絵を習っていたときに先生のお勧めでペン画にも挑戦してみた。

猫の絵を3枚、テキサスの サン アントニオ にあるアラモの砦とこの絵。

より細密なものを書いてみたくてインテリアの一部を選んだ。




ペン画


取り出して見ると、彩色していないぶんだけ想像も膨らみ、経験から来る色を

自分で載せてみたりして、、、、、。

元の写真には色が着いていたが白黒になると雰囲気が異なるものだ。


ペン画 大


この英語の文字を書くのが面白かった。

適当に、、、、とはこのことかしら。


ペン画2


いま冷静に見れば粗探しもしたくなる。

けれども当時は気分よく描き終えたものだ。

若い、若い!




先生の絵は精密でリアリスティックで独特なものを描かれる。

個人の歴史を絵にコラージュして纏める描き方はアメリカでも評価を受けている。




先生はわたしの英会話の先生でもあった。

毎週油絵のクラスに行き5、6人のアメリカ人の生徒であるオバサマ方との会話は

勉強になり、しかも習慣もお料理も、ゴシップも教えてもらった。

先生はゆっくりと上質の英語を喋る方だった。




「どこでもドア」がほしい!!







スペイン貴族にしてフランス王妃  ウジェニー

ウジェニー皇后




写真は2000ピースのパズルで、「次女に囲まれたウジェニー王妃」

または「ウジェニー皇后と女官たち」という画題がついている。

完成後、木枠で額装し堂々と二階の廊下に飾っている。

ポスターよりもピースの厚みで重厚な雰囲気が出て油絵風。




今回「異国へ嫁した姫君たち」という本を読んで(久々の読書だった)、ウジェニーの

パズルの存在を思い出した。 

        参考:過去記事は こちら

絵の存在は見慣れていたが、誰の絵でどんな謂れかも知らなかったのだ。




ウジェニーが果たした政治的、歴史的な役割は割愛して女性の視点で。

彼女の名前は
 
   マリア・ウジェニー・イグナシア・オーガスティナ・グスマン・イ・パラフォス・

   イ・ポルトカレロ

ほんの聞きかじりの知識だが、イ は y で そして の意味がある。

名前に付くと○○家の娘ということで、氏素性が判るようになっているようだ。

彼女はスペイン貴族の出で、彼女自身伯爵の号を持ち「テバ女伯」と称された。




1826年生まれ、美しく教養のある活発で勇敢な女性に育つ。

やがてナポレオン三世に見初められ、結婚したのは1853年皇帝45才、

ウジェニー26才のとき。




大国フランスの王妃になるには、たかがスペイン貴族の姫君では、、、、のそしりも

見事に黙らせるほどの偉大で高潔な女性だった。

かのヴィクトリア女王は ”君主の座のような高貴な地位にはできるだけ王家の

血を引いた者が望ましい” という見解を常々持っていた人物。

そのヴィクトリア女王にさえ気に入られるほどウジェニーは魅力的だったのだ。




スペイン的道徳観を持ち、フランスの習慣に馴染んでいった。

敬愛したのはマリー アントワネット。

ウジェニーも贅沢をしたのは、生い立ち、立場からしても致し方ないことであろう。

しかし彼女は美女を気取ったり、皇后として威厳を取り繕ったりすることはなかった。

華麗な宮廷に君臨する妖精の女王のような完全な美女だと評された。




ヨーロッパ社交界の中心であったフランス宮廷。

ウジェニーのファッションは着るもの、持つもの瞬く間に流行り、遠くアメリカは

カリフォルニアの酒場の女まで真似たほど。

そんな彼女でも容色の衰えに、決して化粧その他の人工的な手段に頼って美しさを

回復しようとはしなかった。

年齢を重ねてもそれなりに充分美しかったようだ。




ウジェニーの優雅なお辞儀はあらゆる人たちの目を楽しませた。

それはまるで、

風に吹かれてうなだれた花が、やおら身を起こしたときのような風情

だったという。




さて肝心の写真の絵の説明に、、、、。

ヴィクトリア女王の進言で、ウジェニーは宮廷画家 ウィンテルハルター に

自身の肖像画や女官たちと一緒の絵を描かせた。

1854年に作成されたこの絵は、皇后が8人の侍女たちに囲まれている。




皇后は侍女には選りすぐりの美女ばかりを集めていたという。

ウジェニーだけが一切の宝石を身に着けず、それでも美しさは際立っており、

白いドレスの胸元に薄紫のリボンをあしらっているだけ。 (左から4人目)




こんな華やかな宮廷暮らしの中でも子供を愛し、きらびやかに着飾った人々と

賑やかに夜を過ごすよりも、子供と一緒にいたいと嘆いていたそうだ。




夫のルイ=ナポレオンがプロシャ軍に降伏し、第二帝政は終わった。

一家はイギリスに亡命し、夫も息子も亡くした後、ウジェニーはその後の

40年間をイギリスの片隅でひっそりと生きた。 享年94歳。




    王制が布かれていたころの一見華やかで、実は過酷な運命に翻弄された

    たくさんの王妃たち。

    多くは命がけで家族を守った一人の母でもあった。






入院中の友への贈りもの

病院に入院している人。

痛い思い、寂しい、心配……。

でもうれしい入院もある。

出産で病院にいるのはおめでたいこと!

ヒューストンにいたとき思いついて実行したことがある。

お見舞いの品に添えて、テキサスの花、景色、カウボーイなどをミニチュアのカンバス

に描き、額に入れてプレゼント。



絵額なし
     5x3.8センチ

残ったもので、もうどこの灯台か忘れてしまった。


額あり
    額  8x6.5センチ

メキシコ湾の夕日


アップDSC00895




イーゼル


ミニチュアのイーゼル    左・・・高さ12.5    右・・・高さ9.5センチ





イーゼルと額は最初だけで、2回、3回と訪れるとこの小さな絵が増えてゆく。

押し付けがましい贈り物ではあったが、アメリカ人に喜ばれた。

病室のサイドテーブルに置いて、慰められたと、、、、、。





ベルリンで見つけた植物の本

表紙植物本の



ベルリンで泊まったホテルの傍を川が流れていた。

川沿いに散歩をしていると屋台形式の店がいくつか並んでいた。

ふと目に止まったのがこのアンティークの本。




1954年発刊のドイツ語で書かれた高山植物の本。

絵は図鑑らしく平面的で美しくも詳細。

惜しくも33ページから38ページが破り取られて抜けている。

持ち主だった人はそれらのページの花たちによほど興味があったのか……。



本4


本3


本2


植物本



いわゆるボタニカル アートだが、紙質のせいか印刷がリトグラフのように見える。

handpresse という文字もあるが、、、、、?

そのあたり詳しくないので断言はできない。

悩まされるほど、それほど美しい!

値段は忘れてしまったが、安かったように思う。

異国の地で、お気に入りを見つけ手に入れた喜びは格別だった。









エルテのブルーアジア

ブルーアジア取り直し
     94x77センチ  エルテ 1892-1990 




エルテ(ERTE)のシルク・スクリーン。

家中どこへ持っていっても光がガラスに反射して撮影が難しい。

やむなく玄関の椅子にのせて、、、、。

実際はトイレに掛けている。 少々シミが出てきているのが気掛かりではあるが。




1989年、エルテがもう危ないので絵を買っておくといいわよ、と知人のアドバイス。

実物やカタログを何枚も見た中でこの絵が強く印象に残った。

どこに飾ろうかしら……。

結局トイレしかなかった。

ロサンゼルスでもトイレに飾っていた。




LAのロデオドライブの画廊で、買った値段の半分くらいで売っていた。

日本でバブルのはじけたころには、買った値段の倍以上もした。

絵画の価格ってどうやって決めるのだろう????



丈夫ブルーアジア

地球をイメージ

女性二人BA

中近東風の女性が二人で地球を支えて

女性部分BA

極端に吊り上がった目は西洋人好み

BA女性拡大


BA部分



エンボスの手法や金、銀箔を使い、見る者を魅了する。

エルテはファッション画を描き、ブロンズ彫刻も手がけた。

我が家はこの絵に合わせて、トイレには古代の小物を飾っている。

お気に入りのトイレではあるが、長居はいたしません。





プロフィール

白秋マダム

Author:白秋マダム
 
海外生活17年間の思い出と、
時事雑感、日々の暮しについて
エッセイを書いています。

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