ロマン拡がる家紋



日本人なら誰でも持っている家紋。

最近はそれを意識する機会が少なくなった。

今では結婚式と葬式で家紋が登場するくらい。




式場で女性たちが着る式服。

いわゆる紋付で、嫁入りしてすぐだと実家の紋。

何年か経つと嫁ぎ先の紋が入った着物を着る。




親戚一堂が集まったときにずらりと同じ紋が揃う。

若い女性が違う紋をつけていると新婚さん。

異なった紋の人がいると、他人には借り物と映る。

昔は貸衣装に桐の紋がよく使われていた。




家紋は900年前、平安貴族が自分の身分や家柄を示すのに

好みの図案を選び、自家の用具につけたのが始まり。

江戸時代には一般人も使用が許され普及した。




本多忠勝
    紙本著色本多忠勝像


本多 家紋


徳川四天王の一人、勇猛な武士 本多忠勝 の家紋。

「立ち葵」で藤原北家兼通の流れが葵から判明できる。




徳川家の家紋「葵」の由来については諸説がある。

その一つに本多家と交換したという説が。

「立ち葵」が家康、松平家の家紋で、「葵」が忠勝の家紋だった。

据わりの良い葵を家康がほしい と申し出たのだ。




家紋の種類は10万はあるらしい。

自分がこの世に存在するには10代遡れば1000人の男女の

係わりがあったという。




戸籍と違って家紋は勝手に変えられるので、家紋が同じだからといって

先祖が同じだとは限らない。

でも この小さな図案から読み取れるロマンが想像力をかきたてる。




結婚前、「お宅の家紋は?」と聞かれた夫は「ウチにはありません」って。

母が絶句していたのが昨日のことのよう・・・







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大名行列のホント?





大名行列


江戸時代、参勤交代で街道を大名たちが行列を組んで通過した。

「下にー、下に」と声を上げて毛槍を振って歩けたのは限られていた。

将軍家のほかは紀伊、尾張と水戸の御三家だけ。



しかも ゆっくり威風堂々と歩いたのは宿場町だけで町外れや山間部は

走るように通り、日数の掛るのを省いた。



家格に応じて供の数も定められ、初期の頃こそ守られていたものの、

幕末も近くなると大名行列の体を成せなくなってしまった。

ために日雇いの者たちで人数を合わせ、その場をしのいだという。







江戸における大名行列の礼儀作法と仕来たり

参勤交代の時期や式日には大名や武士の登城で通りは大混雑となる。

すれ違うときは大名同士 作法に則り格の低い方から挨拶をしなければならない。



行列は名前を掲げているわけではないので、すれ違う相手の大名が

上位か下位か をすばやく判断しなければならない。

手がかりは行列先頭の槍印や挟箱に描かれている家紋。

当時は武士だけでなく庶民も家紋は周知徹底していた。

同じ葵の紋でも微妙に違いがあることまで。



供頭が相手の大名の名前と家格を行列の責任者である道中奉行に報告。

 ・大名同士が同格のとき

   往来を半分ずつ譲り、駕籠を停止し扉を開けてお互いに目礼


 ・相手が上位のとき

   駕籠を停止し、片足を出して草履を履き、ちょっと土を踏む仕草を

   して丁寧に頭を下げて礼

   このとき格上の大名は扉を開けて目礼をし、扉を閉めて行き去る


 ・相手が御三家や御三卿など格段上位のとき

   行列を止め、大名は駕籠から出て立ったまま礼

   格上のほうはそのまま挨拶を返さずに通過することも




供頭の判断如何では 主君が礼を失することになり、延いては

藩の名も汚すことになるので、切腹を覚悟の重要な役目であった。








江戸時代に表札?


映画やテレビの時代劇で奉行所の門に「南町奉行所」などと

大きな字で書いた表札を見かける。

この間違いについて。




門札など江戸時代には掛けてはいなかった。

個人宅でも屋敷名を書いた表札は皆無。

近くの住人や出入りの者は 何町のお屋敷は何様 と知っていたからである。

各屋敷の角には 辻番所 があり、番人に聞いて確かめることもできた。



武家屋敷にない、ましてや庶民には表札は無縁のものだった。

商家は屋号の看板を掲げ、暖簾に染め抜き、提灯などぶら下げた。




裏長屋に住む人たちは路地木戸の上に職業と名前を書いた小札を掛けていた。

また住まいの外障子には職業の印や名前を書いていたので迷うことは無かった。


表札2


このように看板が、あるいは門札が掛けてあるのは視聴者へのサービスかもしれない。

しかし時代考証としては間違いである。


表札


赤穂浪士たちの討ち入りは念入りに下調べも付いていたし、表札など

なくても吉良の屋敷はわかっていた。

この表札の代わりにテレビではせめてテロップでも流してほしい。




現在は各戸に表札があり、掲げていないと怪しまれる。

訪ねてくる人のため、宅配の人のため、郵便配達の人のためにも、ね。




  余談:新築の家をテレビの番組で公開していた。

      その家のご自慢の一つに郵便受けを台所から受け取れるように

      工夫がなされていた。

      でも、新聞配達、郵便配達の人は道路にバイクを止めてずうっと

      車庫脇を抜けて歩いてこなければならないのである。

         ・・・・・・・・・?????



      
      
      

刀掛けに刀を掛けるには




テレビや映画の時代劇を見ての間違いについて。

どうしても気になるので書いてみることに。



江戸時代は刀は武士の魂といわれた。

平安、鎌倉時代は弓で、戦国時代は槍がそうだった。

魂である刀を置くときには細心の注意が要る。


刀掛け 間違い


刀が刀掛けに置かれている普通の光景。

奈良に行ったとき、先祖代々 刀鍛冶だったという刃物店でもこうだった。

これは間違い。


日本刀


こちらが正しい掛け方で、鍔と柄が右側 に来るように。

こうして掛けておくといざというときに、左手で鞘を握り、右手で刀を抜くことができる



1枚目の写真のように置くと、右手で鞘を握り左手に持ち替えてから刀を抜かなければ

ならず、すばやく臨戦態勢をとることができない。


刀掛け 反対向き


これも右側に鍔と柄がきているが間違い。

反り返った方を上にしておかないと抜いて振り下ろしたときに切られない。

これは腰に差しているときも同様で、刃を上に している。




写真の3枚はウエブサイトから拝借したもの。

この正しい掛け方の写真を見つけるのは至難の業だった。

それだけ時代考証があいまいになっているということらしい。







プロフィール

Author:白秋マダム
 
海外生活17年間の思い出と、
時事雑感、日々の暮しについて
エッセイを書いています。

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