海賊と呼ばれた男






海賊




久し振りに薦められての読書。

「海賊と呼ばれた男」のタイトルは、自分で書店では手に取らない本だろう。

また この表紙も好んで買いたいものではない。





婿に推薦され、読み始めたら止まらない。

今は下を読んでいるが、展開が楽しみ!





主人公の私利私欲をも捨ててまで日本を思う気持ちはどこから来るのか。

それはまるで 武家社会で藩を守りぬく武士の心 にも通じるものがある。

話が上手すぎるほど節目節目で幸運に恵まれる彼・・・

実話でなければ信じられないほどである。

的確な判断で決断を下し、即実行に移す。

まさに機を見るに敏!!





素晴らしい部下に恵まれるが、すべて彼が育てた結果。

昔は、いつとは限定しないが、こういった男がいたものである。

後世、現在の日本を振り返ったときに誰が男として認識されるのか?











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新田次郎 again



孤高の人


新田次郎「孤高の人」についての記事アップ、2回目。





過去記事は↓

新田次郎の作品に最初に出会ったのは「八甲田山 死の彷徨」だった。

好きな作家は一人だけではないが、大好きな作家が新田次郎である。

以来、彼の作品は全部読んだ。

「孤高の人」を読んだあとから今まで、心の恋人は主人公の加藤文太郎、一筋。

「聖職の碑」、なんといってもタイトルがいい。
 
   学校の先生は聖職であったと思い起こさせられる。

「八甲田山死の彷徨」は映画でも2回観た。 

   日露戦争の直前のころの、日本の軍部内での対比が面白い。

「ある町の高い煙突」、一企業の良心を描いている。

「珊瑚」、自分の生業(なりわい)に誇りを持ち、一途に生きる人たち。

   珍しく山岳小説ではなく、海

彼の作品には人間として譲れない美学があり、自然を絡めながら様々な

立場で表現している。

女性を書けない作家だと言われているが、女性が主人公の本もある。

美辞麗句を並べない、つまり余計な修飾語のない、読者に媚びない、

淡々とした簡潔な文章を書く作家である。

せめて現在の平均寿命まで生きておられたなら、たくさんの、枯れた

文章で清潔な文学が世に出ていたかもしれない。

喪失感の大きな作家でした。




7月29日付の新聞に関連の記事が載っていたのでちょっと一言。

1936年1月、山で遭難した加藤文太郎の遺体が発見された。

実話に基づくことは知っていたが、意外な発見があった。




単独行の登山家が初めて組んだ相手が宮村健(モデルは吉田登美久)。

遭難した北鎌尾根に誘ったのは加藤のほう であり、宮村は文中にある

ような愚かな人物ではなかったと。




登山を趣味としている知人が「あの本は嘘」と切り捨てたのも意外だった。

でも 新田次郎の小説家としの魅力が損なわれたわけではない




史実を題材に膨らませた小説には後日談がつきもの。

最初にこの本に出会ってから35年以上経っている。

吉田登美久氏のためにも知らずにこのまま逝かなくてよかった。






江戸川乱歩の「人間椅子」



よそさまのお宅を訪問したとき、ホテルに泊まったとき、ロビーやラウンジで

ゆったりとしたアームチェアを見かけると、わたしの胸の鼓動は早くなる。




黒アームチェア


近代的な椅子


茶アームチェア


古色蒼然とした年代物の椅子





小学5年生のとき雑誌で読んだ江戸川乱歩の「人間椅子」。

子供向きに易しく書き直されていたとしても、充分インパクトはあった。

椅子の中に見知らぬ男の人が入っている、、、、、。

そうとは知らずに座っていた女性。 座るたびに抱きかかえられていたのだ。




不思議さは尾を引き、大人になって本を買って読んだ。

不気味なのに忘れられず、人が入れそうな椅子を見るたびに思い出す。




短編でほかにも「お登勢」、「芋虫」など 怖いもの見たさ の思いで読んだ。

この作家の異様な怪奇趣味はどこからやってきたものか。

初期は欧米の探偵小説に強い影響を受けた本格探偵小説を書き、ペンネームも

エドガー・アラン・ポーから遊び心のように漢字を当てている。




黎明期の日本探偵小説界に大きな足跡を残した。

その一方で岩田準一とともに研究していた衆道の少年愛や少女愛、草双紙、

サディズムやグロテスク趣味などへの志向も強かったようだ。

自身が倒錯の世界に身を置いていたのか、研究の結果 冷徹な目で纏めたものか。




少年向けに、明智小五郎と小林少年 をはじめとする少年探偵団が活躍する

作品『怪人二十面相』等を多数発表した。

ラジオで放送されたとき、小学生たちは学校から帰って聞き入っていた。




とても人が中に入っていそうにもないアームチェアなら心騒ぐこともなく

座っていられるが、写真のような椅子は見ただけで「乱歩」を想像してしまう。 

怖い、、、、。

わたしの今までの長い人生、肘掛け椅子の大きいのを見るたびに恐怖を

抱かせるとは……、名作と言ってもいいのだろう。





でも、困ったことですのよ。








本屋さんが街から消えてしまう、、、

若草物語DSC00356
    若草物語  17.5x23.5  厚さ6センチ




米国の書店チェーン第2位のボーダーズ(Borders) が経営破綻したニュース。

インターネットの書籍販売と電子書籍に侵食されたようだ。

ボーダーズは、LAで住んでいたところから散歩で行ける距離にもあった。
                     (Westwood 通りに面し UCLA の近く)



アメリカでは、書店に行っても日本で味わうほどのワクワク感もなく、横文字の並ぶ
書棚の間を虚しく歩き回っていただけ。 (だって英語ばかりですものね)

ワゴンにセールの分厚い本が載っていても、いくら安くても、やはり虚しいだけ。

それでも本屋さんは好き。

この店の二階にはカフェコーナーがあり、見たい本を抱え込んでお茶を飲みながら
過ごせる。

   わたしが高校生の頃は書店で長居をしていると、店のオバサンが嫌味たっぷりに
   叩きをかけていた、、、、

わたしも何冊か持ち込んで、本を眺め、周りの人間ウォッチングをしていた。



セールで写真集を買い、画集を手に入れた。

これらはコーヒーテーブルに重ねておくだけでもリッチな気分に。

ある画集などはデコパージュのためで、一冊切り刻んでしまったが、惜しくはなかった。

大きめの箱に貼り付けて、はい、ルネッサンスの箱の出来上がり!




数少ないアメリカで手に入れた本、そのなかの一冊をご紹介。

写真の「若草物語」である。

原題は Little Women 、なんと素晴らしい訳の邦題!!

この話は小学校1年生の時に漫画で読んだ?見た。

絵本であれ漫画であれ、将来の読書への導入役を務めてくれるのなら万々歳。

わたしの場合、本より先に映画が入ってしまい、うっとりとして南北戦争のころの
アメリカ生活にあこがれたものだ。

四姉妹もいい……。



ページ若草物語
     カラーページの挿絵が少しとペン画が挿入されている




日本の書店はいまやリアル書店と呼ばれ、存亡の危機に、、、、

そうでしょうか。

これと決まった書籍はアマゾンに注文しても、やはり書店に立ち、手にとって
本をパラパラと眺める楽しさは格別ですよね。

古書店でもない、バーチャル書店でもない、なにか夢のあるアイディアがあれば
書店離れは起こらないのでは?



もうひとつ、万引き対策として、

   ・何人もの人を配置して巡回してもらう

    ボランティア気分で

    パートで結構、私服で結構
    
    支払いは現物支給で  

    本好きな人集まれ!!


   ・入り口にオープン棚を設けて、荷物は全て預ける


街から書店が消えていっては困るわたしの繰り言でした。




本は大好きですが、

二人読書する
右の熊ちゃんはトイレで読書。二つは違うお店で見つけたもの。



小説を書いたと聞くと、必ず読書が好きなんでしょうと答えが返る。


本らしい本は、小学3年生のときに読んだ「アルプスの少女ハイジ」が最初の本。

5年生で世界少年少女文学全集が発行され、一巻目が「ギリシャ神話・ホーマー神話」。

続き「イエス キリスト物語」を買ってもらった。 
           
       (2冊目はタイトルの記憶が定かではないが)



中学生になって図書室に通うようになった。

読書が楽しくて、好きな本は全部借りた。

借りる本がないときは、国語辞典などを広げて見ていたこともある。

書店にも通い詰めた。



結婚して子育ての頃、本好きな友人たちにいろいろ借りて読んだ。

ツルゲーネフを知り、松本清張に出会い、石川達三に惹かれた。

本は貴重な財産で、貸し借りには気を遣ったものである。



海外生活中は日本語に飢え、日本人会の図書室と出張者の手土産の本がうれしかった。

帰国する人が置いていった本がバザーに出、図書室に並べられる。

好きな本だけ読んでいたわたしは、時代小説というジャンルに出会って、その魅力の
虜になった。



ジャカルタ駐在中は女中がいたので雑用から解放され、一日に7冊読んだことも。

さすがに目がおかしくなった。


日本への一時帰国で買い込み、バザーで買い込む。

夫の友人が毎月文庫本を送ってくれたのが時代小説と内田康夫。


ところが日本に落ち着くとほとんど読まなくなった。

テレビもあればラジオも聴く、新聞も読む。

毎日の生活が結構忙しい。

実は読まない理由をあげながらも、内心焦っているが……。


そしていよいよ読み手から書き手へと回ったのである。

        (経緯の詳細はカテゴリの「小説」に記載)

この歳になったればこそ言いたいことがあり、それらを書き記せるのは無上の喜び。

誰も書かなかったことを、自分が読みたい本に作り上げてゆく。


でもでも、わたしは作家ではない、作家にはなれない。






新訳「カラマーゾフの兄弟」

ドストエフスキーimages
フョードル・M・ドストエフスキー(1821-1881)


いま新訳「カラマーゾフの兄弟」が大人気だそう。

2006年に出版してすでに26版を重ねているという。

発売後2年で100万部を突破。

亀山郁夫氏(東京外語大)の美しく解りやすい訳が受けているらしい。

学生のとき「罪と罰」を読んでてこずった思い出が、、、、

あのころは文学作品といわれている本は読んでおかないと恥ずかしい、という
理由で読んだものだ。

結果は自分の毒にも薬にもならなかった。(こちらのほうが恥ずかしい?)

遅まきながら、いま新訳とやらに挑戦してみるのもいいかもしれない。



外国文学は独特な翻訳で、日本語なら使わない言い回しがある。

またやたらと注釈があり、本のページを行ったり来たり。

年を重ねると翻訳ものは読むのが億劫になってくる。

シドニー・シェルダンの超訳された本が出るとベストセラーになったのは、
やはり読みやすかったからだろう。

また誰の作品だったか、「枕草子」の意訳、超訳が出たことがあった。

何かで目にした記事で、本を読んだわけではないが、確か……、

   「春って、やっぱ あさぼらけのときが最高よね」といった感じだった。

話題性はあっても、受け入れられなかったのは当然で、読者は清少納言のこだわりと
薀蓄を聞きたいだけではない。

日本語の響きやリズム、つまり文章の流麗さに魅力を感じているのだから。



翻訳は原文の良さを残し、生かし、読みやすくが基本では?

文豪の手にかかれば、時には原作よりも魅力的な本になることもあるようだ。

昔から「赤毛のアン」は村岡花子訳が一番!  他者には譲れない。

上田敏、大久保康雄、、、、なつかしいですね。





新田次郎、新田次郎、新田次郎

孤高の人


新田次郎の作品に最初に出会ったのは「八甲田山 死の彷徨」だった。

好きな作家は一人だけではないが、大好きな作家が新田次郎である。

以来、彼の作品は全部読んだ。

「孤高の人」を読んだあとから今まで、心の恋人は主人公の加藤文太郎、一筋。

「聖職の碑」、なんといってもタイトルがいい。
 
   学校の先生は聖職であったと思い起こさせられる。

「八甲田山死の彷徨」は映画でも2回観た。 

   日露戦争の直前のころの、日本の軍部内での対比が面白い。

「ある町の高い煙突」、一企業の良心を描いている。

「珊瑚」、自分の生業(なりわい)に誇りを持ち、一途に生きる人たち。

   珍しく山岳小説ではなく、海

彼の作品には人間として譲れない美学があり、自然を絡めながら様々な立場で表現
している。

女性を書けない作家だと言われているが、女性が主人公の本もある。

美辞麗句を並べない、つまり余計な修飾語のない、読者に媚びない、淡々とした簡潔な
文章を書く作家である。

せめて現在の平均寿命まで生きておられたなら、たくさんの、枯れた文章で清潔な
文学が世に出ていたかもしれない。


喪失感の大きな作家でした。




取材旅行 -その2-

旧出雲街道
                旧出雲街道


美作(みまさか)の地にて、友人と二人、地図を片手に城跡を探す。

鶴田郵便局で、昔このあたりにあった城は、と訪ねるとすぐそこだと。

わたしたちの身形を見て、「その格好では登れませんよ」

なにしろ戦国時代の城で、いまでは草木生い茂り、釜を片手に切り開きながらでないと
前には進めないらしい。

とにかく見るだけでもと、教えられた山の途中まで車で入り、近くを見回す。

あの山? こっちかしら、と当りをつける。 そして諦めた。

下調べをした住所と違うことに、ふと気がついたのだ。

畑仕事をしている人に尋ね、ガソリンスタンドでも聞いた。

目的地は鶴田藩の陣屋跡。

空き地に立ち、空を見上げ、前に広がるのどかな風景を目にし感無量だった。

往時の人たちも目にしたであろう景色は、ここまで訪ねてきた甲斐があったと。

このために協力してくださった方々の柔和なお顔と物腰が忘れられない。

参勤交代に使われたという旧出雲街道を少しだけ歩いてみた。

写真のところは陽光も差し、歩きやすそうだが、四十曲峠という難所がある。

これを越えて鳥取へと出て、松江から浜田へと続く。

浜田城から鶴田陣屋までの320キロを、人目をはばかりながら逃避行をした武士たち
と家族。 

何故そうしなければならなかったのか、わたしが詳しく説明しますからね、と原稿を
推敲することで頭はいっぱいになり、取材旅行とはいえない簡単な調査は終わった。

その地に立って、その場所の空気を吸う。

肌でしっかりと美作を受け止めた。 




       

ドラマの中の岩崎弥太郎

岩崎弥太郎
            コースター


新宿の土佐料理の店で出されたコースター。

「龍馬伝」を放送中だったこともあり、4人分を見て「あなたのは誰?」と盛り上がる。

わたしに当ったのは岩崎弥太郎。

ドラマで芸達者の香川照之演じる岩崎は、憎々しさもひとしおだった。

でもわたしは見るたび、「子孫の人たちはお気の毒に」と思っていた。

お知り合いに、福沢諭吉と岩崎弥太郎の血を引く方がいたからである。

彼から明治初期のご家族の写真と家系図のコピーもいただいている。

100年経てば公人とはいえ、関係者は見過ごしにはできないものがあるのでは?

龍馬と対比しての面白さから、また岩崎のキャラを際立たせるための演出だったかも
しれないが、岩崎にスポットを当てて描けば、また違った人物像が浮かぶであろう。


関係者から「けしからん」の苦情は出なかったようだが、過去にはあった。

宮本武蔵が朝日新聞で連載されたとき、又八の名が珍しい本位田というところから、
帝大(東大)で同名の教授が、「又八」というあだ名がついて困っているという投書が。

彼の先祖にはそのような人物はいないと。 先祖は播州赤松氏で、上級武士。

吉川英治も又八は作中の架空人物であると答弁をしたという。人気のほどが伺える。

小説を書くとき頭が痛いのは、文中の人物の名前。

可能な限り調べた上で決定するが、有名になったればこそ、関連の事実が出てくる
のであって、事前には作者は知りようもないことはある。

  余談
   「ビルマの竪琴」も発表後、水島上等兵と年齢、出身地、性格などそっくり
   だからと、妹だと名乗る人から問い合わせがあったそうだ。
   もちろん架空の人物で、作者があとがきに不思議な一致だと書いていた。

小説を書くとき、事後騒動を恐れていては、個性豊かな人物は生まれない。

気を配りすぎれば、平穏無事な内容になる。

これは読者にも責任があるのでは? 
フィクションとノンフィクションとの違いは最初から分っているのですから。



気取って、取材旅行に、なんて……

福渡岡山 
       福渡の田園風景 (岡山県)


ある一つのストーリーが浮かび、心に浮かぶままに書きなぐり、書きとめる。
   (小説など書いたこともなかった、わたしの初挑戦)

思いの丈を綴るには、手のほうが追いつかなかった。そこで原稿用紙を止めて、
パソコンを活用することに。

以前のワープロだけのものと違い、便利、便利。

たとえば「あっ」と挿入したくて、打ち込むと、それ以降の文字が全て移動する
のには驚いた。
思わず、ごめんなさいねと呟いたほど。 申し訳なさでいっぱいになる。

ざっと書き終わって(原稿用紙に換算して400枚弱)、舞台になっている場所を
訪ねてみたくなった。

毎年書く年賀状の住所を思い出した友人に連絡すると、気軽に案内を買って出てくれた。

岡山から津山線に乗る。
車窓からの眺めは、わたしを飽きさせなかった。
山というよりは丘と形容したい、かわいい山が、ぽこりぽこりと点在しあるいは重なる。

福渡の駅で友と落ち合い、そこからは彼女の車で。
  なんと、彼女はわたしのために運動靴とコートを用意してくれていた。
  装備万端抜かりないわたしを見て笑う。 気候が読めないだろうと想ったそうだ。

宿に着き受付で、いろいろと質問をした。
「それなら詳しい人がいますよ」と連絡を取ってくれる。

また連絡を受けた方も、今日は通夜があるので、明日の葬式の前なら、と宿まで
来て下さることに。

聞けば学校の先生を退職後、郷土史家としてご活躍の方らしい。

小説を書いていますと言うのは、あまりにもおこがましく、さりとて何のために?
と聞かれて説明をしないわけにもゆかない。

ああ、わたしがすでに名の売れた作家だったら……。

浜田藩が幕末に大挙してこの飛び地に移住してきたことを調べていると聞くや、
「ああ、あの馬鹿殿のことですか」と。

やっぱり、、、、

「自ら城に火を掛けて、自分はさっさと松江藩の軍艦で逃げたんですから」

3000人を超す、武士とその家族が、土地の百姓たちの家に長い間仮住まいをしたことは、
未だに忘れられない事実のようである。

幕府が石高を合わせるために村を切り貼りし、合併、併合した。
なにしろ藩主は徳川慶喜の弟である。

その方は併合されたほうの、不利な立場に立たされた村の子孫だった。

とても、ざっくばらんで楽しい方だった。
よかったら、と講義の資料もいただけた。

思いがけずお会いできた方だったので、手土産の一つも携えていなかった自分が
恥ずかしかった。
              この続きは(その二)へと





 
プロフィール

白秋マダム

Author:白秋マダム
 
海外生活17年間の思い出と、
時事雑感、日々の暮しについて
エッセイを書いています。

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