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お喋りママはお役立ち

山茶花
         山茶花


幼い子を連れて海外に駐在するのは言葉の問題で苦労する。

上の子が5歳。
日本の幼稚園を経験していたので会話は心配しなかった。

下の子は4歳。
日本語はおろか、社会性も不安だった。

子供が赤ちゃんのときからアメリカ生活をしていた知人曰く、
「家では日本語で話しているのよ」と言っていたが。

実際はこうだった。5歳のお嬢さんに、
「フロントのシートにいらっしゃい。ママ、あとでスパンクするわよ」
と、こんなふうに、長くいると日常的な単語は日本語かと思えてくるのだろう。

ヒューストンには毎週土曜日の午前中のみ授業がある日本語補習校があった。

ある生徒が「野原」の読み仮名に「フィールド」と書いたという笑えない話も。

ウチは補習校は途中で止めさせた。(並べればいくつも理由はありますが)

子供は友達と遊ぶのが何よりと思ったのと、日本に戻れば日本語の中にどっぷりと
浸かって暮らすのだからと自分に言い聞かせて。

そこでお喋りママの本領発揮である。

学校から戻ると興奮してその日のことを報告する。
「あのね、今日スクールでね」
「スクールじゃないでしょ」
「そうそう、学校でね」
と、英単語は日本語に直し、眼を見張って聞いてやる。

この頃次女の口からは「あのね」が、次の言葉を探すため頻繁に出た。 

企業戦士だった夫は留守勝ちだったので、女3人で過ごすことが多い。
時間はたっぷり。

わたしは子供の頃の思い出、観た映画、読んだ本、耳にした話をした。

あれ、これの代名詞はなるべく具体的に表現する。

表現もいろいろと考えて、「雨が降りそう」でも、ある日は「雲行きが怪しい」と
言い換えてみたり、「この調子だと降れば土砂降りね」などと。

もちろん親にあるまじき行為だったが、愚痴もぐちぐちと聞かせてしまった。

台所で料理をしながら日本語の歌を歌った。 これは自分の快楽のため。
唱歌ばかりではない、1960年代のオールディーズも娘たちの耳にはばっちり
残っている。

帰国後の日本語?
笑い話はたくさんだけれど、まったく問題はありませんでした。




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白秋マダム

Author:白秋マダム
 
海外生活17年間の思い出と、
時事雑感、日々の暮しについて
エッセイを書いています。

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