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風の流れる町家造り



吉田兼好は 家を建てるときは夏を旨とすべし と言った。

冬は何とか凌げるが夏の暑さからは逃れられないと。




若かった頃と暑さを較べようもないが、体感としては家の中は涼しかったように思う。

それは町家造りの家に住んでいたからかもしれない。 

中学から結婚する前まで、小さかったが奥深い町家に住んでいた。

町家というと京都が有名だが、実は日本のいたるところに町家造りの家は見られる




江戸時代 商人は店の間口の広さで現在の税金に当る運上金、冥加金を払っていた。

そこで通りに面する間口は狭くして商家を建てたため、奥深い家の造りとなっていった。

これが俗に言う「鰻の寝床」のような町家である。




夏の太陽が照りつける日、玄関から一歩中に入ると真っ暗だった。

目が慣れると落ち着くが、それまではよそ様の家だと不安感すら覚えたものだ。




土間の続きを歩んでいくと、やがて「坪庭」が見え、その明かりにやっとほっとする。

この坪庭あるいは中庭は見た目にも涼しく、事実

    小さな庭に打ち水をすると水が蒸発して空気の流れができた。

江戸時代の大店も小さな店も町家はそれなりの庭を持ち、町家では庭の存在は

必要不可欠なものだった。     風は通りぬけてこそ涼しい。

併せて夏用の建具に替え、すだれを下げ、めぐらせた縁で日差しを防いだ。




わたしの育った町は室町時代から商家町として栄えたところで、江戸時代にも

広大な商圏を持ち、豪商が軒を連ねる町だった。

豪商の家などは通りからは窺い知れない、粋な庭を潜めていた。




わたしのお茶の先生のお宅も、かつての豪商で、幕末には宮様も立ち寄られた家だった。

家の中に茶室が2箇所と、ほかにも炉を切った部屋が。

奥深いが手狭だったのは否めず、近くに別宅も構えていた。




江戸時代の佇まいを残すその町の商家の本が手元にあるのでご紹介したい。

独断と偏見で写真集の中からお気に入りの写真を抜粋してみた。


柳1


藩主も泊まったという離れ、「半閑舎」の座敷から見える庭。

ここは小さいながら玄関、控えの間付き、本座敷の横には小間の茶室、台所も

ある雅趣豊かな数奇屋風の建物。


2柳


海に荷が着くと雁木から荷揚げし、作業場に。

そこから望む蔵。


柳3


泥棒除けの隠し階段。

泥棒が入ったときには家中の全員がこの階段を使って階上の物置へ。

階段の上部は厚い板で蓋をし、さらに長持ちなどを置いて開けられないようにした。


柳4


主屋の二階。

二階は広いが唯一この部屋だけ畳が敷かれ、隠居部屋として年寄りが住んでいた。





この「風の流れる家」を一般公開したのはずっと後で、大人になって初めて訪れた。

したがって歴史のある町だったのだと実感したのも遅かった。

趣きある町、人情味豊かな町、けれどもおせっかいだと鬱陶しく思っていた町……。

良さが分かる年齢になり遠くはなれた現在、育んでくれたこの町に感謝している。






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No title

風の流れる家・・・

日本人の知恵は素晴らしいですね~
関西ではもっぱら、京都でみかける程度ですが

中庭を眺めているだけでホッとして
脈々と流れる日本人としての心が
芯までくつろがせてくれますね!

twngmg2 さま

> 関西ではもっぱら、京都でみかける程度ですが
大阪にもあるのでは?
商人の町でしょ。 もう残っていないのかもしれませんね。
> 中庭を眺めているだけでホッとして
> 脈々と流れる日本人としての心が
> 芯までくつろがせてくれますね!
ウチのはほんとに坪庭よりまし程度だったのに風情がありました。
住みやすく改築したので純粋な町家ではありませんでしたが。
プロフィール

白秋マダム

Author:白秋マダム
 
海外生活17年間の思い出と、
時事雑感、日々の暮しについて
エッセイを書いています。

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