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成田空港の「への字」って?

掲示板成田



成田空港の誘導路にあった空港新設反対派の一坪共有地。

手狭になった羽田空港から成田へと移転する案が発表されると反対運動が

派手に続いた。 もう40年も前の話。



1975年、わたしは万歳に送られ涙ながらに羽田を発った。

国際線を飛ぶのは日本はJALだけ。

ファミリーサービスの至れり尽くせりの親切に守られ、初の国際線に搭乗。



一時帰国で日本に戻った時からは成田空港だった。

家を建てるときに現在の地を選んだのも、成田空港に近いというのが最大の理由。

何しろ夫は、多いときは月に3回ヨーロッパ出張をしていたので。



成田空港建設に反対した人たちが「一坪共有地」運動を起こした。

その所有地を楯に居座り、工期を遅らせ、国民の税金は無駄な出費を強いられた。


滑走路なりた空港
                         画像は共同通信社より拝借



結果、写真のような「への字」の回り道ができ、40年間も運行の邪魔をした。

一時待機を強いられた飛行機は誘導路上で渋滞を起こす。

A滑走路の発着可能回数32回に対し、問題のB滑走路は14回。

今回 への字 は取り除かれ、直線道路となる。

飛行機の発着はスムーズになることだろう。



それにしても反対派の人たち。

彼らは、彼らの家族は成田空港を一度も利用しなかったというのか。

政治的なものが絡み、一般の人は利用され踊らされた部分もあるかもしれない。

北朝鮮にハイジャックをして渡った人たちが日本に帰国したいと願い出た、、、、。

このことを想起させた「への字」のニュースだった。



羽田新空港の盛況ぶりを見るにつけ、成田空港の企業努力の怠慢を思う。



その成田から娘と孫がアメリカへと発った、2ヶ月の思い出を残して。

見送りには行かなかった。

「どこでバイバイをしても同じよ」の、わたしの昔の台詞を明るく繰りかえしながら、

娘は遠い人になった。

去る者はいい、、、、残されるものは……。





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No title

そういえば昔、国際線はJALだけでしたね。
国際線のスッチーになりたくて、地方のJALへ試験日を聞きに行ったら
今年は採用見送りですって言われたのは高3の夏、
ちょうどオイルショックの後でした。
このへの字の道路を飛行機が移動してたんですか?
大変な事でしたね。

娘さん達、お帰りになったのですね、
ホント、若い頃は去る側、でも今は送る側。
母の思いが痛いほど分かるようになりましたね。

↓の植木屋さんのお話、温かくていいですね♪
人を認めてこそ、自分も認められるんですものね。
そういう人に私もなりたい。。。と思います。

mimoza さま

> 国際線のスッチーになりたくて
そうだったんですか、、、、、。
オイルショックのころは世間がおかしくなっていましたし、残念でしたね。
世の動きで自分の人生も変わりますよね。

> そういう人に私もなりたい。。。と思います。
大丈夫、mimozaさんもそういう人ですよ。

いろんな意味を込めて、頑張り過ぎないようにご自愛下さいね。
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白秋マダム

Author:白秋マダム
 
海外生活17年間の思い出と、
時事雑感、日々の暮しについて
エッセイを書いています。

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