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映画「原爆の子」を埋もれさせないで



原爆の子




1952年製作の映画「原爆の子」。

昭和20年に原爆が投下され、その7年後(1952)の広島が舞台。

映画と実際の風景が一致し資料的価値もあるのでは。




被爆した町には今後100年は草木も生えないと聞いていた。

高校には被爆された先生が何人もいらした。

戦争と原爆で肉親を失くすという話は身近にたくさんあった。

広島の隣接県ならではの体験だろうか。




昭和30年、父の所用で広島について行き、トゥシューズを買った。

これが売られていたという事実 が驚きである。

当時葉室バレエ団という大きな団体があり、かの森下洋子も所属。

まだ混沌とした世の中で何故かバレエが流行っていたのだ。




少なくともわたしが歩いた広島の町は復興なり、にぎやかだった。

町には元気な人たちだけが出歩いていたのだろうけれど。

この映画を観るまでもなく、見えない場所でひっそりと生きている

被爆者がいることは日本人なら誰でも知っていた。



原爆の子2



映画の出演者たちもその時代そのままの姿である。

着ているもの、住んでいる家、街並、、、、なつかしい昭和。

いまこの映画を製作しても出演者の顔は嘘っぽくなるに違いない。




広島の原爆炸裂のあと、除染はしなかっただろうし人々は水も飲んだ。

奇跡的な復興がもたらされたが、現在の爆弾は威力が違う。

過去無事であった例は参考にはならない。




―ならぬことはならぬものです―

反戦も非核も声高に叫ぶことなら誰でも、いつでもできる。

ではどうすればいいのか教えてほしい。

結論の出ない問題、まるで出口の見えないトンネルの中にいるよう……

優秀な指導者の出現を座して待つしかないのだろうか。









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No title

おはようございます~~♪
いつの間にこんなに原発が・・・とあの事故のあと改めて原発の数と場所を確認して驚きました。
あまりにも無関心にこの世の中 生きて来ちゃってたと反省しました。
そして今再稼働に向け着々と進んでいるとしか思えない現実に 私たちはどうしたらいいのか!?
一昔前のちょっぴり不便な生活だって安心安全の為ならいくらでもするのに・・・

白秋マダムさん バレーもされてたんですね~~♪
小学生の時お友達のトゥシューズを借りてつま先立ちして歩いた痛かった思い出が蘇りました。

りんださま

こんばんは、りんださん。

> 一昔前のちょっぴり不便な生活だって安心安全の為ならいくらでもするのに・・・
偉い!この気持ちが大切ですよね~
日本人もあの事故の後、扇風機を使い石油ストーブを取り出し、、、
みんなして考えさせられましたね。
「怒りなさいよ」と評論家が言っても、でもどうやって?と思うばかり。
広場に集まって抗議をするばかりではいつものことで終わってしまいますし。

> 小学生の時お友達のトゥシューズを借りてつま先立ちして歩いた痛かった思い出が蘇りました。
今履くと外反母趾になりそう・・・
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白秋マダム

Author:白秋マダム
 
海外生活17年間の思い出と、
時事雑感、日々の暮しについて
エッセイを書いています。

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