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ジャカルタの女中物語 序章

目白クラブ 黄の花



ジャカルタに滞在中は料理担当と掃除などの雑用係の2人の女中がいた。

女中と書くととっても抵抗があるが、この言葉をメイドやお手伝いさんに
替えたとしても、内容は同じである。 (差別意識はありません)

彼女たちの存在がなければインドネシアでの生活は成り立たない。

田舎から出稼ぎに来る彼女たちを雇用するのも、彼の地の経済に貢献していた
ことになる。

うちは家庭車の運転手には手を焼いたが、女中には恵まれた。

料理人のカルティニは通称、ティニといい、19歳だった。

料理人と名乗っても、わたしたちがイメージするコックではなく、日本人の家庭
にいれば、命じられた日本のお惣菜くらいはできる、といった程度である。

地方の貧しい家から都会に出てきて、先ずは雑用係として就職し、先輩たちから
インドネシア語を覚える。

耳から覚え、文法などお構いなし、しかもインドネシア語は簡単にできているので
生活に困らない程度であれば、すぐマスターできる。

そんな彼女たちから、女主人であるわたしはインドネシア語を覚えるのだ。

「台所言葉」と言われるとおり、程度はもしかしてひどいものだったのでは?

交流のあるインドネシア人はみんな英語を使っていたのでよかったが……。

掃除係が辞めたときにティニが言った。

「奥さま、チュチ(掃除、雑用係)に妹を雇っていただきたいのですが」

聞けば我が家の次女、中学3年生より一つ下だという。

田舎から出てきて1年足らず。 近所で働いているが、先輩に恵まれないらしい。

姉としては一緒に働ければの願望があるのだ。

「でも、歳がねぇ、、、 可哀そうじゃないの」

同じ年頃の娘が、これまた同じ屋根の下で暮らす。 一方はお嬢さまで、片方は
女中とは、わたしの平等意識が否定の反応をする。

これに眼を見張って驚いたのはティニのほうだった。

職場と割り切っているので、わたしの中途半端な考えのほうが常識はずれで、
結局雇うことに。

他所で働いている兄が寝場所として入り口の、運転手の控え所である板敷き
の上でもいいからと住むことになり、こちらも夜警になると考えて了承。

都合3人の身内がうちで働いた。 兄のほうは給料を払う必要なしで。

この3人が親孝行で、他の兄弟たちと力を合わせ、遂には田舎に家を建てて
あげるまでに。

文化、習慣、民族意識の違いから、悲喜交々のエピソードが生まれた。

追々書いてゆきたいと思っている。


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白秋マダム

Author:白秋マダム
 
海外生活17年間の思い出と、
時事雑感、日々の暮しについて
エッセイを書いています。

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